「追求の変遷」展示中

7/8より「追求の変遷」をテーマに展示しております。

池田輝が追求したのは作品なのか。その画業なのか。はたまた「生き方」なのか。

作品を通して作者の追求の視線を追いました。

そして判ったのは、今の自分へのメッセージでした。

「追求の変遷」は期間限定せず土日展示しております。次回企画展は春に「花」を予定しておりますので、それまで現在の展示を続けるか、または途中部分的に展示替えするか未定ですがしばらくこのまま展示しています。

今回の大作、画像右3点は1974年4点シリーズで春陽展に出品した連作のうち3点です。この年春陽会会員となった記念すべき作品群です。連作3点が並ぶのは初です。1階は、これで勝負した作者の気概が迫る特異な空間となりました。2階は小品30点あまり展示しています。小品はテーマを設けず、館主、館長がそれぞれ「お気に入り」の作品をチョイスし展示しました。訪れる人が、「私はこの作品が気に入った」などそれぞれ異なる作品を選びます。浅間展同様、皆様のおきにいりの1点を見つけて下さい。

語るは無粋なり

 作品は人に観てもらい初めて完成する。
 作者が気をこめて描き上げた一点、一点。それらを鑑賞し,観る者が自由に感じていただければ良いと思う。
 作品の気づきを語るのは無粋である。しかしあえて今回は作品を並べ、思いを語る。

 小学生の頃、夏休みの自由研究で畳1枚ほどのサイズになる工作に挑んだ。それは段ボールと木材などで作る自宅を模したものだった。父は時々覗きに来ては「ここはどうするだ」とか「このボンドがいいらしい」と言いできあがりを気にかけていた。イメージは壮大で作業は煩雑。途中投げ出し簡易に終わらせようとしたら「おまえはそういうやつだったか」と父は言った。
 これが全てである。常に背後でこう言ってくる。だめなときほどたたみかけてくる。 No.26「一人」やNo.56「一人」然りである。これらの「一人」にはそんな眼の強さがある。こうしていつも見られ「おまえはそういうやつだったか」と言われていると思うから、歯を食いしばり頑張らざるを得ない。
 それから30年。父は53歳で退職し画業に専念した。私は千葉に家族を持った。それからしばらくして、教員仲間で「おらほ展」を始めたことを聞かされ展覧会に一緒に行った。制作や展示はさることながら、更に高台にあるビアガーデンで仲間と一緒に「おらほビール」を飲むのが楽しみなんだと満面の笑みで語っていた。
 No.25 「憩う」はその「おらほ展」に出展している。モチーフは「一人」と同じだが、まとう色が異なる。眼が異なる。制作の追求と共に「おいはそれでいいだか」と語っていた眼が「それでいい」とか「それもいい」に変化していると感じる。

 のちに父の葬儀の際友人から聞いた話である。「娘はいい男と結婚した。それがオレの自慢だ」
 おらほビールを一緒に飲もうと夫に勧めた父の満足げな笑顔が忘れられない。

 作家が込めた思いを私の思いとして語り展示する。これを父はなんと言うだろうか。 2002年頃、最初のギャラリー輝開館準備中に病床の父は「麻美が勝手なことしている」とニヤニヤしていたように、今も後ろで苦笑いしているかもしれない。

          館長(長女) 髙瀬麻美

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