父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 25 ついにパリに到着!

1985年10月5日(土) 雨のち曇り


明け方4時頃から雷鳴鳴り響き、すさまじい天候になった。雨は降っていない。朝食時には雨になった。


パリ行きだ!

アヴィニョンまで普通列車で行き、そこからフランスの新幹線TGVに乗った。

列車は45分遅れた。途中リヨンあたりからスピードが上がり日本の新幹線よりも飛ばしているように感じられた。
パリには2時少し前に着いた。

駅は随分雑踏だ。乞食もいる。活力ある街である。
宿探しのため麻美は飛び回る。インフォメーションは満員。近くの公衆電話は壊されていて使えず。

駅より離れたところまで宿探しに歩いた。宿はモンマルトル街に見つかった。
宿に荷を下ろしユトリロで有名なサクレクール寺院を歩いた。無名画家の集まりで有名なテルトル広場にも顔を出した。

寺院の高台からはパリの街が一望できた。

アヴィニヨン発パリ行きTGV
モンマルトルのテルトル広場2

サクレクール寺院

【追記】
明け方の嵐は恐ろしかった。部屋の雨戸をきっちり閉めた。木製の雨戸がガタガタ揺れた。嵐が過ぎ去るのを不安な気持ちでベッドでうつらうつらした。

おいしいものは最後に食べる派。そんな性分だからか、父が最も行きたがっているパリを最後に訪ねるルートにした。それに合わせて帰国便はパリ発にした。
それが良かったがどうかわからない。今ならおいしいものは先に食べようと思っている。一番おなかがすいているときに食べた方がより美味しい。とは思うもののやはり食卓では最後に取っておき、夫にさらわれるを繰り返している。

さて、最後にとっておいたパリ。北駅に到着。
東武線が浅草駅に入る瞬間が、郊外からパリ北駅に入る光景に似ている。そんな説明をすると、父は子どものように窓に張り付いてパリ到着を眺めていた。
毎回行く先々でその日のホテル確保するので、スリリングでもある。この日は比較的すんなりホテルがとれた。画家の街モンマルトルだったので、父は満足だったのではないか。ホテル代は予算オーバーだったから、「とりあえず今日はここで一泊」ということにした。
テルトル広場には似顔絵描きの画家がたくさんいて、人だかりができていた。衆人環視の中で似顔絵の客がモデルになっている。「おいもやるか?」って、とんでもない!と思ったが、今なら恥ずかしげもなく客になれたかもしれない。

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