父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 24 アルル最終日
1985年10月4日(金)晴れ
今日はカマルグ行きだ。バスで小一時間南下した。原生馬といっても”さく”の中で飼育されている馬たちで期待外れであった。
海岸は波が高く荒れていた。高い波しぶきを一杯浴びた。
街には土産店が並ぶ。
近くの沼地にフラミンゴがいるが、歩いて遠いので行かなかった。見るところもないので、いったんアルルに引き返した。
午後ニームに行ってみた。大学都市で活気に満ちていた。
麻美は以前来たとき狙っておいた銅板のフライパンを土産に買った。アルルを中心とするプロバンス地方には6日間滞在した。
まだパリに行ってない。
ゴッホがパリを離れて陽の光明るいこの地方に移ったその気持ちも加わって、去りがたい気持ちだ。






【追記】
アルルとカマルグとくれば、映画「フレンズ」。アルルの闘牛場とカマルグがロケ地だった。
映画「フレンズ」は年上の姉がいる幼なじみに誘われ、上田の映画館に小6の時に観に行った。満員で立ち見だった。よくわからないまま途中で映画館を出た。最後まで観たかった幼なじみは残念がっていた。皆は一様に感激していた。後に小説でも読んでみたけど、やはり感動は共感できなかった。
カマルグにいくバスの中で、父にその映画の話を少しした。特に反応はなかったので、映画の内容はあえて語らなかった。
カマルグでは期待大の野生馬にもフラミンゴにも会えず、海岸まで散歩する。海は荒れていたので人気はなく、犬連れの一家が波打ち際を散歩していた。
犬はセントバーナード。リード付けていなかった。フランスの犬は大型犬が多いが、たいていよくしつけられているので危険ではない。
しかしその犬は吠えながら、飼い主の制止を無視してこちらに突進してきた。危ない予感がした。
アルルでは犬に襲われそうになるのが2度目。東洋人が見慣れなかったのか。
この日記を文字起こししながら、当時の父の気持ちをリアルに知ることができている。
「もっと現地で絵を描きたかった。観光よりも一カ所滞在してじっくり描きたかった。」
そんな本心が今見えてくる。あの時そう言ってくれれば無理に観光などしなかったのにと歯がゆい思いをしている。
アヴィニヨンに関してはBruelさんに再会するという目的があったが、他、アルル、ニームも一度訪ねた土地だから私としては是非行きたいとは思わなかった。この後行くパリだって同様。自分としては特に見たいところ、行きたいところがあるわけではなかった。父のヨーロッパ旅行ガイドのつもりだった。もっと描きたい、とあの時言ってもらえれば、あちこち移動しなかった。
ニームでは前回来た時、街の中や公園で変な男に後を付けられ手鏡で後ろを確認しながら歩いた。アルルより大きい街で物騒な感じがした。
前回ニームの土産物屋の壁に掛けられていたフライパンが欲しかったが買わなかった。フライパンの裏面に街の景観を彫り込んだ、オブジェとしてのフライパン。土産物屋に前回同様壁に吊るされていたので、即買いした。
アルル土産の一つに”サントン人形”がある。プロバンス地方の農夫や高齢者をモデルにした民芸品だ。いくつかある土産物屋の中でひときわ目を引く店があった。そこには大量生産ではない、手作りの1点物を置いていた。前回は高くて手が出なかった品だ。帰国後もこれがずーっと欲しいと思っていた。今回も同じ店に行くと、同じ場所に前回見たような人形があった。これを買いたい、この前はお金がなくて買えなかったと父に訴えると、
「買えばいいじゃないか。俺もそっちの小さい方買うよ」
と当時日本円で30,000円と15,000円のサントン人形を買った。
以来、旅先などでいいと思ったものは、思い切ってその場で手に入れるべし、と学習した。
銅製フライパンは長いことうちのキッチンの壁でオブジェとして飾られ、サントン人形は今も大事に我が家のリビングとギャラリー輝に飾られている。

