父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 23 フランスの犬に吠えられた
1985年10月3日 (木)晴れ
今日もまだストが続いていた。九時半に1本アルルに行く電車があるので、駅まで送ってもらいアルルに帰ることができた。家族が言うには、アヴィニヨンはフランスで一番物騒なところで、毎日のように人が殺されている騒ぎが報じられているとのこと。
アルルに戻って午後から写生を始めた。ゼロ号2点描いた。やっと絵の方も地道に乗ってきた感がある。
明日は野生馬のいるカマルグに行き、5日はいよいよバリに乗り込む。パリでは見物が主で描く方ができないので、油はこれが最後であろう。




【追記】
Bruel夫妻はその日ドイツ旅行を予定していた。ストが続いていたので何度も駅に確認の電話していた。旅行前日に泊めてもらったことを知り、大いにお詫びと感謝の言葉を重ねた。
ようやくアルル行きもドイツ行きも出発できそうだとわかり、厳重な戸締まりを終え駅に送ってもらった。
アルルのホテルに戻るとホテルの息子さんが厨房から慌てて出てきた。
「夜になっても戻らない。深夜に戻るかもしれないから一晩中ホテル入り口の鍵をあけておいた」と早口に言われた。
「朝になっても帰ってきた様子がない。確かアヴィニヨンに行くと言っていた。ストで困っているはずだ」と女将さんと心配していたそうだ。そうか今晩は戻らないとホテルに電話で伝えておくべきだったのだ。
知人の家に泊めてもらったと伝えると、奥から出てきた女将さんと二人で「良かった、良かった」と喜ばれた。なんだかあちらこちらで迷惑かけたみたいだ。
この日にアルルに戻り描き上げたと思われる作品2点を添付する。
そのうちの1点。
「扉」
これについては作品にメモ書きが残されていたので、それをご紹介。記載内容からすると、この日制作の作品ではないみたいだが・・・。
□輝の作品記録から
「扉」
フランスの犬に吠えられた!
1985年、教職を退き娘と1ヶ月間のヨーロッパ一人旅をした。予定のない気ままな旅であったが、幾多の苦労やハプニングにも見舞われた。
昨日はアルル闘牛場の入り口を一日描いたので、今日は宿に近い車も通れない細い路地に入った。犬の糞が乾燥して風邪に舞い上がり、汚臭が立ちこめる通りだった。
ふと、汚れた白壁に黒緑になった鉄の扉門が目にとまった。イーゼルを後ろの壁一杯に立てかけて描いた。人通りは全くなかったが、しばらくするとイラクのフセイン大統領を思わせる風貌の男が、賭け事でもしているかの様子で扉の中に消えていった。そこでしばらく描いているうち、尿意をもよおしてきた。壁に向かい放水を始め、ひょっと二階の窓を見上げると、先ほどのフセイン風の男が窓から顔を出しているではないか。フランスでは立ち小便厳禁と聞いている。あの男が降りていて何かするかもしれないとの思いから、急いで道具をたたみ、イーゼルにキャンバスを取り付けたまま抱えてホテルに飛び込むように戻った。この宿は3日目だったので飼育されていた犬は私になじんでいたはずなのに、本気で吠えまくられてしまった。宿の女将さんがしきりにわびていた。フランスでは犬を吠えさせることは飼い主の恥とされている。

「扉」は帰国後手を加え仕上げている。「これ、いいだろー」とアトリでから持ってきて見せられた。欲しいと言うと意外にも「だめだ」と。後に我が家のリビングに飾られることになった。