父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 22 アヴィニョンに行く

1985年10月2日(水) 晴れ


アルルも気候の変わり目、朝夕は肌寒くなる。麻美の知り合いの先生をアヴィニョンに訪ねることにして駅に行く。駅はストで列車は12時近くに1本出ることがわかった。一方それより早く出るバスがあったので、バスに乗り、1時間でアヴィニョンに着いた。
駅で電話して(知り合いに)迎えに来てもらった。
家はローヌ川を渡り、城壁を巡らした湖上の脇の高級住宅街で外見は良くないが、部屋は良い住まいであった。主人は音楽大学の教授、奥さんは60歳近い。昼食を準備して待ちわびていた。遠慮のいらない家族で親近感を覚え、今日まで描いたスケッチを総ざらい見せた。その後、麻美が前回この家に来て世話になった時撮ってもらったスライドを映してもらい、見た。3年前、赤い手袋にオーバーを着てジーンズをはいて、随分若い姿で写されていた。
夕方帰ろうと駅に電話をを入れてもらうと、スト続行で電車もバスも動かず、夜の12時までだめなので、泊めてもらうことになる。
午後、アヴィニョンの公園に車で連れて行ってもらう。高台からの風景が素晴らしかった。主人はピアノのレッスン中で、教え子の親が代わりに七時に迎えに来てくれた。
主人の妹さんは日本の大学で講師をされていたが、病死されて、残された部屋が日本趣味で飾られていた。日本を愛した様子がうかがえる。
夜は遅くまでスライドを見せられ、眠い。

アルルのピカソ美術館

アヴィニョン公園でスケッチ

アヴィニョンの街
アヴィニョンの橋
アヴィニョン橋の夕陽

ブリュエルさん宅で夕食

【追記】
前回フランス一人旅を計画中に、もしアヴィニョンに行くことがあったらこの人を訪ねるといいよと大学の先生から電話番号を教えられていた。一人旅半ばの頃、人恋しさもあり、アルルから、なんとはなしに、その番号に電話してみた。しかし無情にも「この電話は現在使われていません」音声が流れた。別に用事があるわけでもなし、それで終わりでよかったのに、電話ボックスから出ると老夫婦がやってきて、「どうしたの? 電話番号調べてあげる」と言う。地方別電話帳には同じ名前の人が無数にあった。次に職業別で調べようと言う。どこに住んでいるかわかるかと聞かれ、「確かアヴィニョンの駅から大きな橋を渡った高台にあるって聞いた気がする」と紹介してくれた教授の話を思い返しながら伝えると「それはvilleneuve les Avignon だ!」
該当の番号が数件に絞られ、電話番号のメモを渡され、端から電話してみろという。
老夫婦はじっと後ろで見ている。
そして上から電話すること3件目。Ca y est! ついに、つながった。
「明日遊びに来なさい」とトントン拍子に話が進み、そのままBruel夫妻を訪ね、方々観光に連れて行ってもらい、1泊させてもらった。
帰り際には奥さんにお弁当を渡され、またフランス来ることがあったら、必ず電話しなさいと何度も念押され駅で別れた。


電話を調べてくれた老夫婦といい、Bruel夫妻といい、南仏の人はきさくで明るい。
今回そのご夫妻を再び訪ねることになった。Bruelさん宅を訪ねるのが、私の旅の目的の一つでもあった。お土産に羊羹を渡すと「youkan!]と大変喜ばれた。
挨拶してお土産渡し父を紹介して失礼するつもりだったが、ストで電車もバスも動かず、そのまま1泊させてもらった。

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