父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 9 バルセロナ1日目
9.1985年 9月19日(木) 晴れ
宿は街の中心地で良いところに案内されていた。今日行く予定のピカソ美術館やガウディの塔が近くで良かった。
朝のうちに麻美は明日のマドリードの宿探しにバルセロナ駅へ地下鉄(30分)を使って電話しに行く。
ピカソ美術館へは10時に行くことにして、麻美が帰ってくる間コンテで窓越しの通りをスケッチした。
ピカソ美術館の道はわかりにくかった。道を行く人何人にも聞いた。美術館は細い奥まった暗い通りにあった。館内の写真は禁じられていたので、帰り際入り口のところでカメラに収めた。
作品では初期のものに興味があった。小品でも色がしっかりついて色面のしっかりしているところが、後の抽象画の仕事への動きとなっているように思った。絵はがきは今までに見ていないものを購入するようにした。
歩く道すがら、麻美が観音様(北向観音)で買ってバックに付けていたお守りを落としたと言うので、不安な気持ちになる。宿に帰ったらはずれてバックの中に落ちていたので不安感がぬぐわれた。
午後はバスでガウディの聖家族教会へ行く。らせん状階段530段を上った。
異様な雰囲気を持つ塔で、400年かけて建ち現在まだ建築中であと200年はかかるという。バルセロナの街、その奥に広がる地中海が一望できる。塔の300段目のところは横の棟への通路になっていて、足を踏み外すと危ない。麻美と互いに写真を取り合った。
地上に降り塔の前の広場でもう一度眺めた。一人旅の日本の青年に会った。元気で旅するように声を掛けると喜んでいた。その後は動物園にも足を運んだ。世界に一頭しか生存しないという突然変異の白ゴリラに麻美が興味を示していたからだ。動物園入り口で子どもたちが勝手にカメラを向けて撮る。帰りに覚えていてしつこく写真を買えと言って後をつけられて気味悪い。
スイスは気温15度前後で寒かったが、ここでは昼間はTシャツで過ごし、夜になっても20度くらいに感じる
夜の外食は20分近く歩き有名なランブラス通りまでやっとのことたどり着く。広場のレストラン野外テーブルの雰囲気を楽しむ。パエリヤを食べて美味かった。日本の米と違い扁平でパサつく。
食べるもの、買うもの、乗り物すべて麻美が払うのでわからないが、日本に比較すると比べものにならないくらい安いらしい。
ホテル代も食事代も安い。飲料水もまちまちでサイダー瓶が駅では200円、裏通りの食品店では100円もしていない。
追記:聖家族教会は昼休み3時間もあり、午後の開館を広場で午後3時まで待った。昼休みの長さに辟易。塔にはエレベーターがあり普通観光客はそれを使うが、エレベーター入り口が混雑していたこともあり階段で上ることにした。最初は広い螺旋階段だが、上るにつれ狭くなる。石段の高さがまちまちなので規則正しく足を運べない。そのうち上から降りてくる人とすれ違うのに苦労するほど狭くなる。左肩(右肩かもしれない。回転方向は失念)を塔の中心に付けてモクモクと上ると300段あたりで隣の塔への渡り通路に出た。石を積み重ねたでこぼこした通路を風が吹き抜ける。渡り抜けるのが怖くてキャーキャー言いながら渡った。次の塔の螺旋階段は先ほどと回転方向が逆になり、体のバランスがとりにくい。いよいよ上から降りてくる人とはすれ違えず、体をぴったり壁に付けて通り過ぎるのを待つようにしなければならないほど狭くなった。降りてくる人から、「あと1000段あるよー」などと言われ、「えー!」って返しながら上る。
上りきると石段に530段と記されていた。当然、帰りはすれ違うたびに「あと1000段あるよ」「えー!」って他の挑戦者との会話を楽しみながら降りた。