父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 7 ジュネーブで1泊

7.1985年 9月17日(火)晴れ
 睡眠不足で頭がボーッとしていた。

麻美の具合は大分収まったが、食事は口を通らない。

麻美にしてみると今度の旅のメインであるアルプス行きを懸念する。

昨夜の不吉な夢の話をすると断念した方が良いということで、惜しくもアルプス登頂をとりやめ下山する。

よく晴れ渡った空に山が立ち並んでそれを見る麻美であった。

途中までは昨日の路線を戻りさらに西に向かって、ベルン経由でジュネーブに着く。

麻美は汽車の中でキャラメルと果物(キウイ)を食べたら急に元気を回復し、本当に良かったと思う。

もしここで病んだものならどうしようものか。

惜しい気持ちで見つめるユングフラウヨッホ

ベルンからジュネーブ行きの列車の中のじいさん

ベルンからジュネーブ行きの一等列車内

ジュネーブの街は国際会議を持つ都市だけのことはあって活気に満ちている、日本のツアーも目立ち始め、日本人向けの店もあり、日本語の広告が目に入った。

時計店がやたらに目についた。

電気製品のほとんどが日本製品であるのには驚く。

乾物屋で日本の品のみを扱う店もあった。

駅のインフォメーションで見つけた宿は歩いて15分のところで、ロマン湖から出るローヌ川河岸通りに面したところだった。

ジュネーブホテル外観

ジュネーブホテル部屋のドア

乗り合わせたロマン湖畔遊覧船は湖畔の一部を遊覧するもので一時間ほどであった。

南湖岸には岡先生(岡鹿之助氏は父の師匠)の描いた建物が森の中に静かに佇んでいた。

ホテル部屋の窓から 湖面に浮かぶのはレストラン

ジュネーブホテル部屋の窓から

遊覧船

遊覧船 気持ちよかった

【追記】

ジュネーブに着き、湖畔の屋台でオレンジを買い食べた私は、果汁が体全体に染み入り急速に元気に取り戻すことができた。その後遊覧船に乗り、湖面の輝きと陽を浴びた時は、本当に気持ちよかった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です