父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 4 日本出発

4.1985年9月14日(土)

麻美のは12キロ、おれが13キロのリュックを背に、玄関先で写真を撮り午前九時に下宿を発つ。(成田発PM一時半で2時間前に空港に入るため)

成田の空港では、空港拡張反対派の動きを制するために検査が重なってずいぶん時間がとられた。

麻美の肩がけバックは金属類が多く入っていたので検査にひっかかった。

麻美は手際よく小早に動き廻る。おれには荷物の番がせいぜいだった。

飛行機は韓国機で定時の13時30分に発った。

ジェット機内が珍しいのできょろついていて麻美に注意を受ける。

夏休みが終わっているので学生の姿はなく、社用族、それに科学万博帰りの韓国の人の姿が目に付く。

ソウルで3時間停まる。

ソウルを発つと日もとっぷり落ちサウジアラビヤのバーレンに向かう。気流が荒れ、夜中揺れて眠れなかった。

バーレンでは一時停泊で、麻美は二度来られるところでないからと言って、飾り品を買い込んだ。

今も拙宅リビングアクセントとなっている、バーレンの飾り物

バーレンの後はダッカに降りる。ここは警戒が厳しく機内で一時間缶詰にされた。酒・たばこが禁じられた。
(英語やらいくつかの言語の機内アナウンスの後、最後に日本語で「お酒飲まさせませ~ん、たばこ吸わさせませ~ん」と流れた。)

スイスのチューリッヒには翌15日の朝8時に着く。(日本時間15日午後3時)

成田を発って27時間。

機内での食事は飛行場を発つたびに出るので5回などと寝てる間がなかった。麻美は機内で酔って、酔い止め薬を服用して良くなった。

出る食事にはほとんど手つかずで、心配でもあった。

席はやや後方よりの中央4列の中。一番右席にヨーロッパの日本人学校にいて夏休みで日本からの帰りだという高校2年の女の子。その隣がおれ。となりに麻美。一番左は外交でヨーロッパに行かれるという40代の男性。

ソウル空港を発つとき買い込んだマイルドセブン(税抜き200本1200円)を席で吸ったが、途中禁煙を注意されてからは後ろへ立って吸った。

夜通しの飛行で外の風景は眺められなかったが、チューリッピに着くときには日の出の時刻。

上空からの眺めは見事であった。アルプスの山肌に浴びる太陽の光に映え、なんとも素晴らしい現象。

空港を出るときのチェックは簡単だった。

パスポートを見せると60歳くらいの老係官に「ゴクロウサン」と笑顔で言われちょっと面食らう。

一方心和む思いをする。

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