父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 2
2.出発準備
今のようにインターネットで旅の情報が収集できる時代ではない。
どうやって行程を決め、チケットを取ったかはとんと記憶にないが、無我夢中で計画を立てたあの時の気分は覚えている。
希望する行き先、パスポート準備、旅の支度について話し合うために数回長野に帰省した。
父は行きたい気持ちは強いものの、どこに行きたいは具体的にはなく、「任せる」の一言。
ただ、観光ではなく絵を描くのが目的であるということだけははっきりしていた。
では、いつでもどこでもスケッチができるように、スケッチ用具一式を入れる布製バッグを自作した。
どんな画材を持ち歩くのか確認しサイズを決め、身長に合わせて紐を付けた。服装に合うようにと黄土色のキルティングの布とグレーの紐。
帰省準備の合間に縫うのだから時間はない。ざっくり確認後いきなり布にハサミを入れるのを見た父は、「すげえな」と言い残し、アトリエに戻った。
この時の父の言葉はずっと私の勲章となっている。
(その後スケッチ旅行にはいつもこのバッグを持参していた。バッグには旅の記録が記載されている。)
父娘の旅行きっかけとなった私の一人旅はバックパックのケチケチ貧乏旅行。これがベースになっているのだから、最初からスーツケースでの旅をイメージしていない。スーツケースを転がし、日本から星がいくつか付くホテルを予約する旅では、本当の旅ではないなどと粋がっていたのだから、今回の父娘旅もバックパックの行き当たり旅。
今にして思えば54歳になる父はどう思っていたのだろう。手作り貧乏旅行に少し自慢気味だったように思える。
そうこうして大きなリュックを背負い、スケッチバックを斜めがけした50代半ばになる男の旅支度が完成したのである。
さて、ここからは父本人の日記が残っている。
スケッチブックにびっしりと書き込まれている。
これをベースに旅の話を進めよう。