父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 8 バルセロナに夜到着

8.1985年 9月18日(火)晴れ

今日はスペイン行きの列車に乗る。発車が午前11時半ゆえに、10時までローヌ川に立つ水上レストランの風景を描く。

こちらに来て油は初めて。(F3号)印象派風の絵になったかも。
「ジュネーブ湖からローヌ川源流の地」


ジュネーブホテル部屋の窓より(油絵 F3)

スペインバルセロナ行きに乗る。(カタランタルゴ)

フランスの入国手続きは簡単だった。名に聞く新幹線室内は絨毯で豪華である。途中フランスを経由したのでフラン入国手続きをしたが、いとも簡単であった。食堂車で食事を取る。ここでは大分おごって、一人4000円である。

一等車内を意識した麻美は食事マナーについてやたらやかましいことを言う。

カタランタルゴの食堂車

途中アヴィニオン、アルルを通過した。帰りに降りる駅である。

スペイン国境のポルトブーという名の駅では、スペイン警察の厳しい検問にあった。こちら二人には当たりは柔らかかった。赤のパスポートをちょっと見せるだけで軽くパスするが、日本から来た関西なまり商社風の男3人と後ろの席のスペインジプシーの女に目を付けていたと見え、乗り込んでくるや問いもせず、網棚の荷を勝手に引き下ろして中身を調べ回った。何も異常はなかったが、殺気じみた雰囲気であった。

車窓から見るフランス国境からバルセロナまでの風景が素晴らしく、乾いた広陵として、黄赤褐色の地に白い集落が点々と目に入る。列車の窓が汚れていて写真に撮れなかった。


バルセロナには夜の9時半に着いた。延々と10時間だ。夜だったので宿探しで苦労する。電話で30分探し、予約したホテルに向かうと、タクシー運転手はもっと安いところ知っていると言い不安があったが言われるままに動いた。いちいちと聞き返したいのだが言葉が通じなかったのでどこに連れて行かれるのか不安だった。
着いたところはずいぶん駅から離れたところに来たと思ったが、すぐ近くにも大きな駅があり、その前の宿であった。星は一つだがバストイレが付いていた。同じような宿泊客でうごめいた感じであった。通りに面した賑やかなところで1階はレストランで便利である。50半ば過ぎの肉太りの親父が一人で中やテラスの客15.6人をこなしていた。
名物のサングリアを飲んで満腹となり、12時に就寝する。夜半でも部屋がうるさい。

スペイン国境の小さな村(色紙)
スペイン国境の小さな村 (No.1068 コンテ 四つ切り)

追記:タクシー運転手に連れて行かれたのは、ターミナル駅前のチェックイン時前払いの安宿。パスポート預けるように言われたような記憶がある。若い旅行者が多く、活気があり、わさわさしていた。1階のレストランバーでサングリアを注文すると、金魚鉢ほどの大きさの容器にドリンク、フルーツなど次々と何かが投げ込まれる。店主は鼻歌で嬉しそうに。店内の陽気なスペイン人の注目がどんどん集まってきた。ドンと目の前に置かれた金魚鉢サングリアは見た目と異なりアルコールが強く、私はグラス1杯も飲めずクラクラしてきて部屋に退散した。その後父一人でどうしたのか翌朝聞くと、一人で飲んだのだと言う。注目しているおじさん達に振る舞えば良かっただろうにと悔やまれた。

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