父と娘の貧乏スケッチ旅行記 26 パリ二日目
1985年10月6日(日)晴れ
モンマルトルの宿は料金が高いということで、変えることになる。
シテ島の宿に電話で予約が取れる。
宿をチェックアウトする前に近くの「のみの市」を散歩した。麻美は彼に革ジャンを買ってやる予定で参上したのだが、値段が高くて手が出ず、いろいろ探り歩いて、コートを買った。

昼近く予約しておいた宿に行った。地名的なことはよくわからないが、有名な場所らしい。その場末の宿だった。
一つ星の看板で、7階を螺旋階段で上った屋根裏部屋に通された。麻美は気味悪がって宿主に苦情を申し出ると、親父は即座に管理人の上の階の2階の部屋を空けてくれた。
何百年もの歴史を感じるホテルでドアは二度くらい修理されている。物入れの壁板は剥がされた痕跡がある。トイレは1階登った階段の隅にあった。バスは料金制でトイレの横に並んでいた。
午後からパリ見学に入る。
まずルーブル美術館に行く。セーヌ川ふちにあり、シテ島の宿を出てすぐだった。日曜は無料とあって大変混雑していた。全館を見なかった。エジプト時代とギリシャ時代の彫刻が目にとまった。
そこを出て印象派美術館を見た。セザンヌが際立って良かった。ゴッホも良い。セザンヌは現代絵画の構築の基をなすと感じた。サントビクトワールの風景がなくて残念だが、大学の頃に知った「丘と樹木の絵」に触れたことが嬉しかった。
夜のレストランでの夕食が美味だった。

【追記】
一人旅したときに、パリでお世話になったおばあさんに紹介された蚤の市でシルクのスカーフとコートを買った。いいもの見つけてきたとおばあさんに誉められた。裏地にグリーン系のチェック柄が洒落た、カーキ色のトレンチコート。膝くらい短めの丈だった。素敵な裏地が付いて縫製もしっかりしているから大変よいものだとの評だった。
パリジェンヌが、同じようなコートに革製の幅広ベルトもしくは大判スカーフをベルトにして、スリムジーンズを合わせていた。
帰国後パリジェンヌを真似したコーディネイトが大層受けた。今回は同じ蚤の市に行ったが、いいものが見つからなかった。スカーフも随分質が落ちていた。
そのおばあさんに、旅行中何度か電話するがつながらない。
直接アパートを訪ねることにした。
留守だった。隣室の女性が出てきて、今旅行中とのこと。「あなたは前に来た日本人だよね。何かメッセージ残す?」と言われ、彼女の部屋に通されテーブルで手紙を書き、お土産に用意してきた百人一首を託した。
この日から最終日まで泊まったホテルはシテ島にあった。
使用人に紹介された部屋は最上階の屋根裏部屋だった。
ベッドに這い上がり窓を開け「ここからのバリの景色が最高だ!安くするから、この部屋にするといいよ」とパリジャンには珍しく明るい口調でぐいぐいときた。確かに景色は最高。しかし問題はベッドが一つということ。
「2ベッドの部屋にして欲しい。私たちは親子だ!」と伝えると、ひどく驚いて、慌てて階下の家主に伝えに行き別の部屋を紹介された。
そこは大きなベッドが4つある巨大な部屋だった。どのベッド使ってもいいとのことだった。
今はいつの間にか消えてしまったが、その後しばらく10年も20年もの間、スケッチ旅行中使ったソープの香りを嗅ぐと、たちまちこの部屋の映像が蘇り、洗面台に立つ自分が浮かんだものだ。
シテ島界隈では犬を散歩する人をよく見かけた。大型犬が多いが、小柄な小太りの犬もよく見かけた。犬種はわからない。