父と娘の貧乏スケッチ旅行記 13 トレド二日目 アルタンカラの橋を描く

13 1985年9月23日(月)晴れ 
 

今日もトレドに行く。8:30のバスに乗るため7:50に宿を出る。

地下鉄を間違えてしまい、忙しかった。月曜日のためか、バスは途中から乗る客が多く一時間半かかった。

昨日の場所はやめた。バス停から10分くらい歩いてトレドアルタンカラの橋を描くことにした。小山敬三の描いた橋である。疲れが出てきていた。

暑い太陽だった。日本の風景に比べると重々しい。なかなか石造りの重厚感が出ず、残念だった。よい勉強をした。フォルムが見えなかった。筆もやたらと使い、手も汚した。
夕食はおごって、一人2500円で食べた。
明日マドリードを出て、スペイン最南端へ発つ。

アルタンカラの橋を描く

トレド駅前広場スケッチ

【追記】
【父は9/23は相当疲れていたのでしょう。上記日記は殴り書きで、文章はぶつ切れです。なんとか読み解きリライトしたけれど、随所不明点があります。ギリギリ読み取れたものを記載しました。】

前日と二日続けてトレドに行った。昨日の場所はあまり良くないということで、駅から歩いて行けるところで描くことにした。父は「こっちの方が絵になったかもしれないな」といい、「ちょっと待ってて」と言い、やおら立ったまま駅近く広場でスケッチした。
スケッチ場所を決め、アルタンカラの橋を描くために道路から斜面に降りた。そこは石やゴミで雑然としていた。車からドッサリとゴミを捨てていく人もいた。
じゃ私も絵を描こうかとアルタンカラの橋を描いた。

今日はここで本格的に描こうと画材を広げてしばらくすると、左の方から羊の群れがやってきた。ずんずんとこちらに向かってくる。いやな予感がして、あわてて荷物をまとめて斜面を登った。羊たちは牧羊犬と羊飼いに追い立てられながら通り過ぎた。その後には無数の糞が落ちていた。荷物を片付けないであのまま斜面にいたら惨憺たることになっただろう。父は、「ここはいつもあの羊たちの通り道だったんだ」と妙に納得し、「荷物どかしてよかったな」と笑っていた。

帰り際に「見せてみろ」と父は言うから、少し離れたところで描いていたアルタンカラの橋のスケッチを見せると、「ほー。ふーん」としか言わなかった。

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