父と娘のヨーロッパ貧乏旅行記 10 マドリードに到着
10.1985年9月20日(金)晴れ
バルセロナを発ってマドリードに行く。手持ちの時刻表が変更されていて使えず。調度の特急がなく、駅で教えられたものは急行のため12時間かかる。それに乗って8:20に発った。
車窓からは、赤土色の崩れ落ちた廃墟風の集落が次々と展開する。大変面白い。ここはフランスへ入る折に再び通過するので、一カ所下車して描きたい。
スイスからバルセロナに入った時の列車は社内食堂に行ったりで変化があって良かったが、今日の列車は停車も多くゆっくりだ。しかし、停車の都度乗り降りする人が珍しく楽しかった。駅名はローマ字綴りで結構読むことができた。
不思議なことに乗車券の到着時刻は午後8時半と書かれているのに、マドリードに7時20分につき、狐につままれた思いだ。
ホテルは地下鉄でソル広場まで行った近くにあった。宿泊料は一人1900円。ホテルの女将からはバス(シャワー)の中で洗濯してはならん、ベットに腰掛けるべからずなどと注意を受けた。通りに面した部屋で、一晩中うるさかった。
夕食は宿から離れたところに歩いて行くが、目標としたところは店じまいしていて姿がなかった。近くの中国料理屋に入った。こちらに来て一週間は経っているので、東洋的な食事が恋しくなっていた。けれど料理も名前ばかりでおいしくない。メニューにはなかったが聞くと日本酒があるというので特注で注文したら、半分水で薄められていて飲めたものでない。そのくせ値段は高いときている。
帰りマヨール広場に行き昨日のようにテラスでビールを飲む。似顔絵描きで人だかりに混ざって見学する。後ろからスリがそっと寄ってくる光景も目の当たりにした。子供を連れた女が、子供のために恵んでくれと寄ってくる。麻美からはそしらぬ顔をしているのだと習った。