父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 1

1.こうして、「父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行」は始まった

父は53歳(1985年)で教員を退職した。
これから自然の光の下で絵が描けると喜んだ。
当時私は東京で就職し、埼玉のアパートに一人暮らししていたので退職後の父の様子は後に兄から聞いたのだが。
私は学生時代フランス語をかじったので、武者修行のつもりで卒業旅行にフランスに一人旅した。
帰国後土産話を待ち構えていた父に、「今度通訳で連れて行ってあげるよ」などと大口をたたいたのがいけなかった。
その時何のリアクションもなかったが、父の中ではフランス行きは確定していたらしい。

父の退職後2ヶ月が過ぎた時、6月に突然父から電話がかかってきた。
どこの親子もそうだと思うが、父と年頃の娘が面と向かって話すことはめったにない。たいていは母親が通訳のように間に入り、必要なことは母の口から伝えられるものだ。ましてや電話で直接話すなどそれまで皆無だったと思う。
仕事から帰るとアパートの電話が鳴った。電話口は父だった。意外な人からの電話であった。

開口一番、
「おい、いつ行くだ」

いつになったらフランスに行くのだというのだった。
全く寝耳に水。就職して2年目。いろいろ任され始めた時のことである。すぐ行けるはずがない。
私はなんと答えたのだろう。
なにかフランス行きに否定的な言葉を言ったと思う。仕事の問題もあるが、父と二人だけの旅なんてあり得ないととっさに思った。
私の返答に対する父の憤りはストレートだった。「なんだ、あれは嘘だったか」などと言われた。電話口から伝わる父の憤りに対し、あわてて「すぐには無理だけど、秋頃に行けるように計画するから」などと言い直した。
秋に行くなんて。実現の根拠は全くない。しかし先延ばししてはいけないと思わせる何かがあった。
電話だから父の様子はわからなかったが、私の一言を信じ切った父は、「待ってる」と言い電話を切った。

これが私と父とのヨーロッパスケッチ旅行の始まりである。
受話器を置いたその日から3ヶ月後、二人でヨーロッパに向かった。

1985年9月のことである。
父は旅の日記を克明に残している。それによると9月14日から10月11日、27日間の旅であった。父は旅の写真を撮る代わりにスケッチを描いたり油絵を描いた。帰国後もヨーロッパ旅の作品を多数制作している。
私の記憶が拾えるうちに、父のスケッチや油絵を交えながら「父・娘ヨーロッパ貧乏スケッチ旅行」なる記録文を書き残そうと思う。

そして全体がまとまったら、ギャラリー輝で作品とエッセイを展示してみたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です